インタビュー:土橋 育郎 さん、新井 節子 さん
新松戸駅から西に一直線、美しい欅(けやき)並木の道路をまっすぐ約2㎞、新坂川を越えると14階建のマンションが通りの両側に建ち並ぶ。全部で4棟、約800世帯、現在約1800人の住民を抱える、新松戸ならではの大型マンション街、「サンライトパストラル五番街」。ここでは住民活動がとても豊かに繰り広げられている。ホームページは更新頻度が高く、30近いクラブ・サークルが写真つきで紹介され、様々な活動の様子が一目でわかる。五番街ふれあいセンター会長の土橋さんとそこでボランティアとして関わっている新井さんにお話を伺った。
管理組合と自治会一体型が生んだ住民自治
新松戸駅開業が1973年、その後急激に増えた住民の受け皿であるマンション街の一つとして、1980年に五番街の歴史が始まった。30~40代の都内に通うサラリーマン家族を中心に入居を開始、それから2年後には、自治会と管理組合の一体型組織を作り「コミュニティ五番街」と名付ける。
「立ち上げ当初の先輩たちがマンション管理規約の第一条のなかに自治活動を入れてくれた。当時、まだコミュニティという言葉は一般的でない時代に先見の明があった。」と土橋さんは語る。つまり全員が自治会加入という活動しやすい土台が最初に作られたことが、今の活動の豊かさにつながっている、と振り返る。
現在、多々あるクラブ・サークル活動も理事会主導で作られたのが始まり。立ち上げ時の思いが、住民が主体となって組織運営するのが当たり前という気風として結実した。
時代に合わせて課題解決を
介護保険制度が施行された2000年は、入居から20年近く経ち、定着率の高い五番街では多くの世帯主が60才前後になって定年後の生活が現実を帯びてきた頃。「高齢者対策委員会」を発足し、まずは皆が集まれる場を作ろうと「ボランティア花水木の会」を立ち上げ、二つのサロンが始まり毎回人が集まるようになる。
2003年から始めた「憩いの場」は月一回開催で、既に160回を数える。しかし2011年、孤独死がしばらく経ってから発見されるという出来事が起こってしまった。これをきっかけに、待つだけではなくこちらから手を差し伸べようと「五番街ふれあいセンター」の見守り活動が始まった。
顔の見える関係はあえて作らない
最初は「ゴミ出し」「声かけ」「お話相手」から始めた。顔の見える関係をあえて作らないようにするのが五番街の特徴。約束した日時に電話に出ない、という場合、緊急連絡先などを追いかけ、最後の手段として民生委員が役割として訪問し、様子を伺うことにしている。原則、ボランティアは直接会わないか、担当が常に入れ替わるようにする。「ご近所トラブルが起きるとここに住めなくなってしまうので、最初からそうしているんです」と新井さん。また見守りの対象者は75歳以上、住民台帳をもとに呼びかけ会員制としている。管理組合が一体になっているからこそできることだ。
そして2014年から始まった「カレーを食べる会(写真上)」。孤食解消やレクレーションだけでなく、見守り活動の一環として実施。参加申込者が来ない場合は、連絡し無事を確かめる。見守り、というと抵抗がある人でも無理なく参加してもらえるという。最近は介護の悩みなどを語り合う「男の介護教室」も始めた。五番街ふれあいセンターでは、運営委員10名を中心に、ボランティアは70名近く。大勢の住民ができる範囲で関わっているとのこと。
世代をわたって住み続けられる五番街に
ボランティア活動はサロンと見守りで2つの会があるが、コミュニティ五番街の活動からすると、実は一部の組織に過ぎない。理事会や各委員会と住民一人ひとりの班組織を軸に、建物の補修や防災をはじめ住環境や福祉問題から情報発信まで一つの行政区ともいえる機能を持っていて、それが2年任期で人が替わる理事会を中心にきちんと継承されていることに驚かされる。
最近では、子ども会が活発になってきて、連携した活動をする機会も増えてきたそう。「10、20年後にはふれあいセンターの担い手として活躍してもらえれば、私たちも安心してここに住み続けられる」とお二人は笑いあった。