関さんの森を育む会「『関さんの森』の足跡に見る、まちづくりの未来」

インタビュー:武笠 紀子 さん

里山「関さんの森」は長年地域で愛されてきた

sekisan_01 利便性が増す都市社会の中で、次々と減ってしまっている自然環境。松戸市も高度経済成長期以降、人口増加と共に豊かな自然を目にする機会が減ってきているが、まちの中で子どもも大人も自然に触れることができるのが「里山」だ。松戸市幸谷にある「関さんの森」も、2ヘクタールに広がる里山のひとつ。来年で20年を迎える「関さんの森」が今も豊かな自然を残し、環境学習にも子どもたちが訪れるのは、市民の手入れと対話の不断の努力の賜物だ。

 来年2016年で20年を迎える「関さんの森を育む会」。「関さんの森」はその名の通り、江戸時代の名主の頃から続く関家が所有していた、庭から屋敷林・小さい農園にはじまり、こどもの森のような子ども向けの広場を含んだ里山だった。豊かな自然をそのまま松戸市内に残したい-相続税によって維持が難しくならないように、その一心で目的を約束してくれる信頼できる引受先を探し、やっと見つけたのが、財団法人埼玉県生態系保護協会だった。経済的な理由による自然環境の破壊を防ぐ取り組みはナショナル・トラスト運動と呼ばれ、イギリス生まれの市民活動だ。お金の問題はなんとかなっても、里山保全は「ひとの手」が必要。松戸の地元で保護活動に取り組む団体として「関さんの森を育む会」が30人以上の市民が集い1996年4月に発足した。

エコミュージアムのオープンと、道路計画の足音

 それから10年、「関さんの森」は、近隣住民の憩いの場、小学生だけでも年間2000人を越える子どもたちの環境学習・自然体験の場として愛される中、2008年7月20日に「関さんの森エコミュージアム」のオープン、発足記念シンポジウムが翌7月21日に開催され、市民500人以上が集った矢先に、事件が起こった。松戸市で進めていた道路計画が幸谷地域で本格化し、同7月25日に強制収用の手続きに入ったのだ。当時の道路計画は庭を直進・分断する直線路となっており、「関さんの森を育む会」が大切にしている、自然環境と歴史文化環境の一体性を大きく損ねる内容となっていたのだ。

 道路計画の過程で、松戸市からは何度となく売却についての打診はあったが、強制収用と、それに基づく立ち入り調査に踏み切ったのは突然だった。同8月31日に市民側から新道路案を提案したが、市が検討を打ち切る結果となった。

「対話」が「力」を避ける

 道路計画についての厳しい調整は続いたが、同年12月、大きく事態は展開を見せる。松戸よみうりの取材がきっかけとなり、関美智子さんと市長の会談が実現し、双方胸襟を開いた意見交換で、対話への道が開けた。これを契機に話し合いが再開され、翌2009年2月5日に道路の迂回と強制収用手続き中断の基本合意に達し、調印式が行われた。関さん姉妹と関さんの森を育む会関係者、(公財)埼玉県生態系保護協会、そして市職員で構成する協議会-「関さんの森」緑地保全および新設市道建設に関する協議会は、当時発足し、今も年2回、道路計画に関連するこの地域の行く末について対話を重ねている。

自然の営みと人間の営み

 里山の維持管理作業を続けることの合間を縫って会員がガイドしてきた、普段は公開されていない庭の公開日は10月からは第三日曜日・10時~15時となる。夏は家族で参加できる、竹を活かしたそうめん流しや、子どもたちの昆虫観察、秋はどんぐり拾いと、自然の豊かさを体験できる「関さんの森」。こうした自然保護・里山保全は世界各地の環境問題の要請もあるが、一方、1964年に決定された都市計画道路3・3・7号横須賀紙敷線の市道計画は、小金地域の渋滞緩和や産業にとってのニーズがあって生まれたものであり、標識には蛇行マークが強調されている。

 相反する主張がある社会で「豊かさ」は、まず相手の主張を受け止め、対話の積み重ねによってこそ実現できる--インタビューに応じていただいた武笠さんからは、道路工事に合わせて移植された樹齢200年を越えるケンポナシは、安定まで5年以上かかると伺った。長年地域を見守ってきたケンポナシの足跡を、見守り、対話と協働の意味を考えたい。